2016. 11. 28  
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 自分の体がひとまず落ち着いてくると今度は初孫のことが気になる貧乏性です。と言いますのは孫娘は私立大学を目指しているのですがクラスは国公立大学を目指すクラスに特別に入れて貰っています。と言いますのも担任の先生が大好きでとても面倒見てくれている先生がこのクラスで英語を担当されているのでどうしてもその先生のクラスに行きたかったようです。特別の計らいで念願が叶ったのはいいのですが私立大では入試に必要ない教科もこのクラスではやります。地理を取らないので地理の時間は大半が内職しているようです。孫に言わせれば「授業の邪魔をしなければ何をしていてもいい。」教師が言ったと言うことで他のことをしていたら指摘され偉く叱られたので「先生は何をしていてもいいと言った。」と文句を言ったようです。アホ教師に逆上され「出て行け。」と言われ孫娘は教室から出て行ったようです。するとその地理教師(女28才・元中学教師)と生徒指導担当二人だけで懲罰として個室で自習と言う懲罰にされたようです。
 担任はそれはやり過ぎと自分が面倒見るからと懲罰解除をしてくれたようです。その後もことあるごとに孫娘に何かとちょっかいを出して孫娘がキレて暴言を吐いたり何かするようにし向けているようです。、仲良しの子が「挑発に乗ったらあかんよ。」言ってくれています。1学期には欠点に2点足らずたくさんの追加提出物を出させておいて、成績は「1」でした。同学年で「1」を2回取ると留年という規約や、教師に反抗したら退学などと言った校則みたいなのがあるようで、私学らしいなと思いました。万が一そんな事態になったら、金をかけても訴訟も辞さないというのが私の覚悟です。中学校で授業崩壊させていた教師のようでどのようなつてでこの高校に採用されたのか知りませんが、授業力のない教師を採用するなよと思います。力のない教師ほど校則などにこだわり、それを悪用するものです。
 孫娘の取った行動が正しいとは思いませんがそんな授業しかできない教師もごめんです。幸い担任がとことん孫娘を守ってくれているようなので感謝しています。「何をしても良い」は言った言わないになるし、これ以上大事な時期を棒に振らせるわけにも行かず、クラブの信頼している先生から「担任の先生についてきて貰い悔しくても一応謝った方がいいよ。」とアドバイスを受け、授業中に他のことをしていたことの謝罪をしにいってこの件は落着したようです。
 教師に「教室から出て行け。」と言われて本気に受け取って出て行く子と、出て行かない子は半々だと思っています。私も小学校6年生の時言われて出て行ったところ追い打ちをかけて叱られたことを思い出しました。隔世遺伝です。以来先生方にも子どもに「教室から出て行け。」という言葉は指導放棄だから言うべき言葉でないことをしつこく言ってきたものです.久しぶりの病以外のお話でした。ストレスにならないように気をつけます。
2016. 11. 24  
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  今日退院してきました。あきらめていた右冠動脈が無事に通過しました。壊死した心筋は生き返ることはありませんが、重大な不整脈や壊死の進行は食い止められるのではと思っています。又、万一左が詰まったときに応援してくれるとも思っています。
 右冠動脈が詰まっていると分かって1ヶ月間は本当に夢も希望もない感じでした。最初の手術をした病院にさじを投げられ、次の紹介先の病院では医師ではないような医師の暴言に打ちのめされ、、パソコンでTVで紹介されていた名医に画像を診断したいので送れとの指示に、もしや期待していましたら、何とも納得のいかない理由で断られ、最後の頼みの先生に望みを託したのです。正直「先生は大丈夫ちゃんとするから」と言ってくれていましたが、かなり医師不信が強まっていましたので5分5分ぐらいかなと思い、手術台にのりました。
 1時間少し固くなったステントの中をワイヤーを通す作業をされていました。しばらくして、先生が「とっても固いのでワイヤーが取らず風船も入れられないので、ロータブレータで穴を開けるよ。」と言われました。ローターブレーターがここにあるのは聞いていましたが、これを使うのはかなりの技量がいると聞いていましたので「えっ、」と思いました。胸のあたりであの歯医者さんで聞くブーンという音が数回しました。
 「良し、次、ふくらます。」と先生の声に通過したのだと分かりました。もう手術の成功はこの時点で分かりました。自然と涙がにじんできました。最新のつまり止めを塗ったステントを入れて完了です。約2時間ばかりで終了しました。部屋に連れて行かれ、待っていたかみさんに○のサインを出すとかみさんも「よかったー。」と声を上げて喜びました。2時間ばかり安静にして後は自由に動けました。病院には2泊させて貰い帰りの日に朝、先生が手術の冠動脈の映像を見ながら説明してくれました。最初何も見えなかったところに最後は大きな血管と血の流れをみたときは本当に先生が神様みたいな気がしました。この先生の手こそ「神の手」だとも思いました。パソコンには載ってはいないけどすごい先生は色んな所にいるのだろうとも思いました。私の場合、家から最も近いところにそんな先生がいらっしゃったのです。まさに「灯台もと暗し」でした。又詰まらないようにできることはしっかりやっていこうと改めて思いました。それが先生への恩返しだとも思いました。
2016. 11. 22  
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  今日は「いい夫婦の日」らしいです。私達夫婦も47年になります。金婚式までにあと3年。この間本当にいい夫婦だったかなと考えます。若いときから、仕事一筋、時たまパチンコ大好き、そしてたくさん病気してよく入院した私です。そんな私に文句も言わずしたいようにさせてくれ、何年かに一回は手術。本当に世話になりっぱなしです。浮気なんかできるもんではありません。70才過ぎてもかみさんへの思いはまだ20才台の気持ちと変わりません。どこの夫婦よりもいい夫婦だと自負はしています。これからドンドン衰えていく自分に情けなくなり、かみさんへの負担が大きくなるのがとてもつらいです。体は衰えていきますが、心だけは元気にしてこらからも仲良く暮らしていこうと思っています。
  もうすぐカテーテル手術に出かけます。結果より、無事に終わることを祈っています
2016. 11. 21  
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 TVで紹介されていた東京の神の手を持つスーパードクターから、データー診断するから映像等を送れと言われたので期待しながら先日データーを送りました。今朝その結果がコーディネーターから電話がありました。結果は、心臓のバイパス手術はできないとの返事があり、とってもショックです。ダヴィンチという最先端ロボットで手術して貰いたかったです。できない理由は、詰まった先に動脈が見あたらないから繋ぐところがないというものでした。毛細血管は消滅することはありますが冠動脈が消滅することってあるのかなと広報の子から聞いたとき不信に思いました。何となく納得していません。
 明日は近所の病院の先生にカテーテルを試して貰いますがこれも確率は少ないです。不思議に思うことはもし詰まったステントが通ったら冠動脈がないと言うことなら、どこに血が流れていくのでしょう。冠動脈は映像に写ってなくても、流す血管があるから明日の先生は試してくれるのではと思っています。いずれにしろ望みの少ない手術ですが受けてみます。だめでも、4分の3の心臓と8分の7の肺で何とかがんばって1日でも長く生きていこうと自分に言い聞かせています。悪あがきはもうおしまいです。明日から3日入院してきます。
2016. 11. 18  
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 今日11月18日は、72回目の誕生日です。いつも美味しいものを食べ大笑いしながら過ごしてきましたが、今年は胸のつかえがあり、心底喜べない状態です。しかし、72才まで生きてこれたことには感謝すべきだとは思います。これから先の一年一年は今までと違ってとっても貴重な一年一年になるだろうと感じます。
 ストレスが一番、病には悪いと分かっていても、どうしても頭から離れずストレスになってしまいます。いつものことですが悩み事があると、やるべき事はやって、とことん悩み、もう耐えられなくなって、もういいやどうにかなるだろうと諦観して、今までもそれで乗り切ってきました。そろそろそんな時期になってきています。もう少しで正月です。今年もみんな集まってくれるようでそれを楽しみに日々を過ごしていこうと思っています。一日一日、生きていることに感謝しながら・・・・・。
2016. 11. 14  
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 市立病院で1ヶ月も引き延ばした検査と診断で「心筋4分の1壊死。打つ手はない。することもないおしまい。」と言った医者の言葉に致命的なショックを受けて心も折れていました。この医師ではだめだと検査資料を送らせ、昨日届いたので以前見ていただいた医師のいる病院に行きました。その病院のトップの先生です。市立病院から送られた検査資料を読み、開口一番「来週になるけどもう一度カテーテルをやるよ。片一方からでなく両方からアタックしてみる。通ればバルーンで血流が回復できるだろう。血流が止まって壊死していると思われる細胞の中には生き返るものもあるので期待してみよう。万一通らなくても、今の状態が維持できればそう簡単に死ぬことはないから心配せんでも良い。」という力強い言葉に涙が出ました。
 「何もできない。もう来なくても良い」という態度の医師と比べて何たる違いと思いました。
 医師も教師も世間では「先生」と呼ばれる職種です。その共通点は技能と知識が豊富であり、相手を思いやり、寄り添えるかと言うことだと思います。今回の何人かの医師と接してつくづく思いました。
 カテーテル手術は22日です。無事に通れば万歳ですが、通らなくても最善の努力をしてくれる医師に感謝して、養生をしていこうという気がわいてきました。
2016. 11. 12  
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「人は病と闘い、生き抜こうとする。それでもいずれは、どうしても死が避けられなくなる。そのとき何を感じるのだろう。希望を見いだすことはできるのか。栃木県益子町の内科医で僧侶でもある田中雅博さんは、がんに侵され、余命わずかの身。自分の死を見据え、日本の医療からこぼれ落ちているものを問いかける」

――僧として、医師として、ずっと「死」の問題を考えてこられました。自身の死は怖くない、とおっしゃるのかと。

 「そんなことはありません。生きていられるのなら、生きていたいと思いますよ。私には、あの世があるかどうかは分かりません。自分のいのちがなくなるというのは……。やはり苦しみを感じますね。いわば『いのちの苦』です。自分というこだわりを捨てる仏教の生き方を理想とし、努力をしてきました。生存への渇望もなくなれば死は怖くないはずです。ただ、こだわらないというのは簡単ではありません」

 「かといって死んでしまいたいとも思わない。生きられるいのちは粗末にしたくありません。一方で、自分のいのちにこだわらないようにする。そのふたつの間で、『いのちの苦』をコントロールしているわけです。死の恐怖や不安と闘うというよりは、仲良くしようとしている感じでしょうか」

これは、2015年12月5日 - 12月4日付の朝日新聞の「命のちのケア」と題して、余命宣告された内科医であり僧侶の田中雅博氏 に対するインタビュー記事の抜粋です。(yahoo)
 私は余命宣告を受けているわけではありませんが、少なくとも余命が短くなったこと、命の危険が増したことは確かです。田中さんの言葉が実感できるようになりました。今の今まで生や死というものについて考えたこともなく、他人事のように思っていましたが自分の問題として今回は考える機会になりました。愛する妻や、子どもや孫と会えなくなることなんて寂しすぎます。年齢的には私が一番最初に旅立つとはいえいつまでも愛する者と共に生きていたいという願望はかなえられないことですがそんな夢を持って生きていきたいと思います。「死の恐怖や不安と闘うというよりは、仲良くしよう」という心境になれたらいいなとも思います。
2016. 11. 10  
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ヤドリギ(花言葉:困難に打ち勝つ・征服)


  今日は昼から最終診断に行ってきました。結論的にはもう打つ手はないと言うことです。心臓の四分の一が壊死した状態です。そんな状態で詰まった動脈に血液を通しても意味はありません。心臓の細胞は復活しません。今の状態で日常生活はできますし旅行もできると言うことでした。とにかくストレスが一番大敵なのでストレスをためないように過ごすことが大切だとのことでした。残りの2本の冠動脈がつまらないように食事や適度な運動に気をつけていこうと思っています。何年生きておれるかは分かりませんが、1年でも長く生きておれるように、寿命を延ばしたいと思っています。後最低5年は生きていたいのでできることは何でもやっていこうと思っています。
先日ips細胞で心筋の再生が猿の段階でできたとの報道があり、後何年か後には人間にも採用できるのではないかという記事がありました。私が生きているうちには無理だとは思いますが現実化してほしいと思いました。
 以前書きました先生がいらっしゃる病院に転院することにしました。医者は何となく嫌な顔してました。結論が出ると気持ちが落ち着いてきます。まさに余生をどう生きるかです。今までも良い人生でしたが残りの人生も良い人生だったと思える生き方ができたらいいなと思いますし、かみさんと楽しみながら生きていこうと改めて思いました。
 色々ご心配おかけしました。皆様もお体を大切にして下さい。健康が一番です。
2016. 11. 06  
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  今日は突然に、昔校長をやっていた学校の教頭で、後に校長になったN先生が訪ねてくれました。1時間ばかり話しました。今、68才で7年間も私立の園長先生をやられています。とても元気な明るい先生で、管理職としても力のある先生です。私が校長の時入院したときもきちんと仕事をしてくれとてもありがたく感謝したものです。私の病気のことを知りわざわざ元気づけに来てくれたのです。今日は朝から何となく落ち込んでいる日でしたので、とても嬉しく思いました。
 自分の友人が大病を患いながらも毎日をエンジョイしている話などしてくれ勇気づけられました。今は時間があると奥さんとしょっちゅう旅行しているそうです。私にもそんなに遠くでなくともかみさんと旅行したらいいと忠告してくれました。
 友人と話しているととっても気が晴れます。持つべきは友だちだなとつくづく感じました。
2016. 11. 03  
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 家にじっとしていますと色々と考え込んでしまいますので、2日には大好きな京都に行きました。京都市立美術館で「若沖展」をやっていますのでそれを観に行きました。混雑が嫌なので夕刻につくように出かけました。東京のような混雑は全くなくすいすいと鑑賞できました。何回か分けて展示するので今回は大作はありませんでしたが、若沖の繊細な画法は十分に堪能できました。
 久しぶりのお出かけと美術鑑賞でとても疲れて息切れがしそうでした。やはり、心臓の血管の詰まりの影響でしょう。美術館の中の椅子で30分ぐらい休んでいました。その間、かみさんは同じ館内で行われている日本画展などを観に行っていました。
 美術館を出ると夕焼けがきれいでした。バスで四条河原町まで行き、高島屋のレストランで夕食をすませ、又バスで4つ先のホテルに向かいました。フロントで手続きをしていますと「今日はワンランク上のデラックスルームをご用意しております。」と言われびっくりしました。部屋が空いているときは時折そんなサービスがあるようで今回は私になったようです。ラッキーと思いどんな部屋なのかワクワクしながらエレベーターに乗りました。
 部屋のキーを開けて入りますと、いつもよく泊まる部屋よりもずいぶん広く、ベットも大きく、4人掛けのテーブルと立派な椅子4つもあり、大型テレビとテーブルの側には小型のテレビがありました。多分パソコンのモニターにも使えるようにしてあるのかなと思いました。できてまだ2年ぐらいのホテルですのでとてもきれいでした。とても疲れましたのでお風呂に入って9時半には私は寝てしまいました
 翌朝は朝食バイキングでした。品数が多くて油物、塩分のきつ物などを避けてあっさりめの朝食にしました。予定ではもう一つ若沖の作品展をやっている「相国寺」に行く予定にしていましたがしんどいので止めて、チェックアウト11時前までホテルノ部屋でゴロゴロして過ごして帰りました。久しぶりのお出かけ、無事に行け、かみさんがとっても喜んでくれて良かったです。
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プロフィール

よたろう

Author:よたろう
経歴:
元自動車セールスマン、
元 教師、
元 教育委員会指導主事、
元 校長、
現在:フリーター
子 2人 ,2人とも結婚  
孫 3人
 経歴だけ見たら、すごく真面目で、堅物のようですが、いたって普通のジジです。ボケ防止のためにもブログを開設しました。多くの方々と交流できたらと思っています。
子育て、教育、政治、よもやま話しませんか。

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