2012. 05. 31  

 もう、20年ぐらい前のことですが、教育委員会に入り立ての頃、市の指導主事研修会で、元兵庫教育大学長の 上寺久雄先生のお話を聞く機会がありました。それまで教師として、学級のことだけでいっぱいだった私の目をもっと広く、地域社会、大阪から日本全体にさらには世界にむけさせていただいたことが、ついこの前のような気がします。
 今の社会を次のような表現をされたのがとても印象に残っています

ぬけの社会」
   
   ▼ 時がない ~ 生活リズム
   
   ▼ 空がない ~ 環境破壊

   ▼ 仲がない ~ 少子化現象

   ▼ 人がない ~ 義理・人情
                   恥じらい
             
20年前に指摘されていたことが、今は、より進行しているような気がします。懐古趣味になる気はありませんが、今の日本の状態では、日本の行く末が案じられるこの頃です。孫達の世代が経済的にも、精神的にも豊かな日本であって欲しいと心底思います。そのために、ジジ、ババは一体何をしなければならないのか、何をしておかねばならないのか考えてしまいます。
 上寺先生は、どんな時でも、

「気を失うな」  
血の気 ~ 若さ        
 色気  ~ 愛情         
しゃれ気~ ユ-モア        
 食い気 ~ 健康             

とおっしゃいました。せめて、いつまでもこの「気を失わず」、政治にも、子育てにも関心を持ち、人を愛する心も失わず、周りの人に疎まれず、しっかり食べて、健康でありたいと思っています。、

 天下国家のことは、選挙ぐらいしか関われませんが、自分の周りの若い先生方や、孫達には自分の思いをきちんと伝えておきたいと思う昨今です。
           
2012. 05. 30  
無題

 昨日は、とっても心がゆったりとした日でした。なぜかと言いますと、ある親しい方のお宅を訪問したからです。その方とは40年以上前からの知り合いで、教職に就くまでは、親戚のようにしてお付き合いさせていただいた方です。私が、自動車のセールスマンとして勤めていた営業所の近くのレストランのご夫婦です。私はご主人のことをいつもマスターとよんでいました。今でもそうです。

 売り手市場の頃ひょいと立ち寄った、自動車販売会社に即決で採用され、その場で、大学の学務課へ採用の旨を報告されてしまったのです。当時の大学と企業との暗黙の了解だったのは、採用決定後は他の会社を受けるときには学校から推薦状を貰えないと言うことになっていたのです。事実上どこかが採用決定を出せば早い者順で決まっていたのでいったん採用されたら次の会社は受験できなかったのです。
 「採用します」と言われたときは、とまどってしまいました。けちな旅費稼ぎなどせねば良かったと後悔したものでした。当時は、どんな会社も、受験のための旅費と遠かったら宿泊費をくれていました。だから、1日で二つ受けることも可能だったのです。それぞれの会社が旅費、宿泊費をくれていましたので、結構、お金が貯まったものでした。今の若い人たちには信じられない話だと思います。当時から、つきあっていたかみさんにすぐに電報を打ちました。「○○会社に採用される。喜ぶべきか、悲しむべきか。それが問題だ。」と。
 結局、運転免許もなく自動車セールスマンになり(免許は入社後、勤務中に取りに行かせてくれました。)やりたい仕事でもなかったし、向いてもいない仕事でもあったと思っています。

 しかし、人間どこに幸運が転がっているか分かりません。その会社は、大手自動車会社の下請的販売会社ですが、そこで出会った人々が、どの人も今でも忘れられな良い方達ばかりでした。そのころの話はまたいつかしてみたいと思います。

 話を戻しますが、レストランのマスターとはそのセールスマン時代、昼食をいつも食べに行くようになってから、親しくして貰っていました。そのレストランも、まだ始めたばかりで、ご夫婦で懸命に働いておられる姿に感心していました。私は、売れないセールスマンでしたので暇があったら、そこカウンターで何時間も過ごしていました。時には、お昼時の忙しいときには私の子と同じぐらいのやや子が、2階で泣いていたら、おしめを替えに階段を登って、替えたり、、抱っこしてあやしたり、まるで自分の子のように可愛く思っていました。
教師を目指したときは、その二階を借りてなんと勤務中に勉強もしていたのです。そんな私を、当時の所長さんは見て見ぬふりをしてくれ、教師になれたときには「良かったな。」と共に喜んでくれました。
 そのおしめを替えていた子も、40を超え2人のお母さんになっています。幸せそうな彼女の写真を見せて貰い心からうれしく思いました。
 マスターは今、77才です。私よりも血色が良く、肌などつやつやしてとてもそのような年齢には見えませんでした。まだ現役で、「レストランを生きてる限りはやるよ。」とおっしゃっていました。
生き生きと頑張ってる方を見ると、こちらまでなんか元気になります。帰りには、食事までご馳走になり、40年ぶりかのここののレストランのマスターの味に、、かみさんと感激しながら舌鼓を打ちました。
急な雷と雨の後の、涼しい夜風にふかれながら心はホッカリとした気分で、2人で地下鉄の駅に向かいました。


2012. 05. 29  
botan.jpg

昨日に続いて日本語について書きます。この文章は15年前に書いたものですが、状況はより深刻になってきているように感じています。

『もう、随分前になりますが、厚生省が今まで使っていたカタカナ文字の言葉を平易な日本語に直すという方針を出したことがありました。大阪府教育委員会もいわゆる官庁用語を改める旨を発表したことがあります。確かに、公文書と呼ばれる文書にはカタカナ文字やあまり馴染みのない難解な言葉が多く、その上、もってまわった言い回しで親近感に乏しいような気がします。
 それは、日本の行政の「お上」意識の表れであるとの指摘をする人もいます。難しい言葉を使うと、何だか偉くなったような気がしますし相手を煙にまくのには都合が良いものです。こんな文章に誰しも、はじめは抵抗を感じますが、日常的に使ったり、見たりしていますと余り気にならなくなって、それが、常識のように思ってしまうのです。慣れとは恐ろしいものだと思います。
 公文書に限らず昨今のカタカナ文字の氾濫は凄まじいものがあります。夜のネオン一つみても、どうかすると日本の夜景ではないような気がします。日常会話の中でも意識せずに使っているカタカナ文字は数知れないぐらいです。おかげで、海外旅行したときには、単語の羅列で何とか用を足せるという重宝さはあります。カタカナ文字を全て否定する気はありませんが、昨今のカタカナ文字の氾濫には少々戸惑ってしまいます。専門用語で、訳しようがないのも分かりますが何とかならないものかと思います。
 コンピュータの本を見るとひらがなよりもカタカナの方が多いのではないかと思うぐらいです。まるで、暗号を解読するようでしまいに嫌になってしまいます。このことは、教育関係の文書、書物にも言えます。因みに昨今よく出てくる言葉を組み合わせてみると以下のようになります。

「いま求められていることは、ジェンダーにとらわれず、子供一人一人のアイデンティティーを生かし、グローバルな視点でホリスティックを大切にしたエデューケーションである。そして、激変する社会にあって、社会の二ーズに応えながら、コンセンサスをえなければならない。その際、しっかりしたコンセプトを持ち、スパイラルな発展をめざさねばならない。さらに、現代の子供のアパシィティーな状況を打破するには、カウンセリグマインドとともに適切なアクティビティーが必要である。」  

 こうなるともう笑い話ではすまされなくなります。言葉は意思伝達の手段です。相手に伝わらない言葉は、言葉として意味がありません。ただの記号にすぎないと言えます。 
 
 難解な言葉といえば、カタカナ文字だけでなく、平易な言葉をわざわざ難しく熟語(または略語)にしてしまうということがあります。「机の上」と言えばよいものを「キジョウ」と言ったり、「後の黒板」と言えばよいものを「ハイメンコクバン」と言う類のものです。また、教育に携わっているものなら知っている言葉ですが、そうでない人々には分かりにくいもの(教育専門用語)もあります。「カリキュラム」「T・T」などです。言葉の説明もなく当然知っているだろうと決め付けて使うと全く伝わっていないことは多々あるものです。年に数回しかない、学級懇談会などで保護者に話すとき、教育専門用語を多用すると、次回から参加者は間違いなく激減するはずです。専門用語がわんさか出てくる話や本に出会うと「なんだこんな言葉も知らないのか、常識がないな。」と見下されているようで、子守歌や眠り薬としては役立ちますが、何かを学ぶ気持ちにはなかなかなれません。

 ベストセラーになるような本や名著といわれている本は、書かれている内容は大変難しいのですが、記述の仕方が具体的で分かりやすく、言葉もできるだけ平易なものが多いように思います
 このことは、子供を指導する場合にも大切なことです。入学式の時「起立」「着席」と号令をかけても新一年生の子供たちは反応しません。学校では「起立」「着席」は常識ですが、6才になったばかりの子供たちにとっては、異星人の言葉にしか聞こえないのです。また、私の経験ですが、一年生を担任したとき、授業中に「つまり」といったら、子供たちから「つまり」ってどういう意味と聞かれ慌てたことがあります。「つまり」は説明する時のつなぎ言葉として私にとっては常識だったのですが、子供にとっては常識ではなかったのです。

 大阪の教育の中で「本当のことを、分かりやすく、生活と結んで」と言われてきました。難しいことを難しく語るのでなく、難しいことでも易しく語ることが大切なのです。教師は、その専門家でなければならないと思うのです。

 分かりやすくということで、おもしろい話があります。幕末の外国語を紹介した本に、「What time is it now」と書いて横に「ホッタイモ イジルナ」とのルビがついていたそうです。作者の耳には外国人の発音がそう聞こえたのでしょうが、実に覚えやすくかつ現実の発音に近いものではないかと思うのです。作者の何とか理解してもらおう、広めたいといった熱意を感じさせられます。 
 
 誰にでも分かる文章が書け、話ができるようにはなかなかなれませんが、せめて、自己の権威付けや見栄でカタカナ文字や難解語を使わないようにしたいと思うのです。』


2012. 05. 28  
 無題
                                                  
 最近、自分も含めて言葉がきたなくなったなあと思います。日本語は、世界の言葉の中でも特に美しいひびきを持っているものであると何かの本で読んだことがあります。しかし、現実に、使われている言葉の中には、美しいひびきとは、ほど遠い、嫌悪感すら催すものがあります。「バカヤロウ。」「アホ。」「ボケ。」「ブッコロスゾ。」何と殺伐としたひびきを持った言葉の氾濫でしょうか。テレビ等の影響が大きいとは思いますが、子ども達の会話の中で、日常茶飯事のごとく使われているのを耳にすると、ふと自分の言葉をふりかえさせられます。授業の中でつい使っていなかったかと記憶をたどることもあります。                            
 日本語の中で、特に美しいひびきを持つ言葉は、尊敬語や謙譲語ではないでしょうか。最近の若い人や、子ども達がこれらの言葉がきちんと使えない(知らない)のには驚くことがしばしばあります。目上の人に話す言葉も、年下の人に話す言葉も、同年齢の人と話す言葉も全ていっしょ。先日、テレビでこんな部下はかなわんアンケートでも、上司にため口が上位に入っていました。使っている本人は、悪気はないのですが、言われる側は うん?と思ってしまいます。
これも、ため口タレントがもてはやされるテレビの影響でしょうか
 また、ギャル語や略語なども登場し、むかし人間の私にはちんぷんかんぷんです。時代と共にいろいろな言葉が作られても良いですが、言い言葉はやはりいつまでも伝えていって欲しいと思います。           

 言葉は、その人の人格を表すとも言わます。日本語の持つ良さを知り、それを正しく子ども達に伝えられる大人でありたいと思います。そして、学校でも確かに教科書でも尊敬語や謙譲語、丁寧語に関する学習単元がありますが、単なる文法の学習だけでなく日常的に使える指導をやって欲しいなと思います。

2012. 05. 27  
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ぼくの足  四年男 t.y

   ぼくの足
   へんぺい足

   ぞうきんをふんでから
   ゆかをふんだ
   足型がみんなとちがう

   もう一度やってみた
   でも やっぱり
   足型がみんなとちがう
   間があいていない
   土ふまずが出来ていない
   びっくりした

  ドラエモンもへんぺい足
   ぼくもへんぺい足
  だから ぼくは
   ドラエモンと
  いっしょだ


つばめ      三年女  n.simage2


 つばめが
 いえのちかくにいました
 オスみたいなつばめが
 メスみたいなつばめの
 おしりのところを口ばしで
 ツンツンとやっていました

 そこへ
 べつのつばめが来ました
 「どけよ このつばめは
  ぼくのおよめさんだよ」
 「いやちがう
  ぼくが先に見つけたんだ」
 と言ってるみたいに
 大げんかになりました
 そのうち
 メスみたいなつばめは
 どっかにとんでいきました

 のこった二羽のつばめは
 どっちもふられたので
 がっくりしているようでした
 二羽はまたメスをさがしに
 とんでいきました


 いもうと  三年女 i.m     imageCAC7J4F0.jpg


 いもうとは
 お母さんに
 あまえてる

 いもうとが いない時は
 わたしが
 あまえる
 だけど
 いもうとが いない時は
 少ない

 わたしも
 いっぱい
 あまえたいのに


2012. 05. 26  
 「忘れられない子ども」無題

 長い間教師生活をしていると、忘れられない子どもがいるものです。もう、ずいぶんと前の話になりますが、小学校3、4年生を担任した時のA子もそんな子どもの一人です。A子は学力も優れ、家庭的にも裕福な環境にありました。母親も教育熱心で、表面的には何も問題がないような子でした。しかし、なぜか、冷めたところがあり、感情をあまり表に出さず、いつも怒った表情をしている子でした。彼女が3年生の時の作文に、「楽しかった。」「うれしかった。」という表現をほとんど見ることはありませんでした      

 ある時の作文に、猫のことが書いてありました。学校の帰り道、雨の中、道端に子猫が啼いていた。はじめのうちは可愛そうに思ったらしく、傘を差し掛けてやったり、濡れないように工事用の土管の中に入れてやったりして遊んでいたが、最後は道端の水溜まりに放りこんで猫が喘ぐ様を見て「おもしろかった。」で終わっているのです。
 また、地域のイベントに参加した時の作文では、何でこんなしょうもないことにみんなうれしがっているのだろう、参加しなければ良かったといったことが連綿と書き綴られていたのです。私は、何が彼女をこんなに冷めた、白けた心にしているのだろうか、どのよう言葉掛けをしてやればよいのか悩んでしまいました。

 そして、自分なりの結論は、作文に書いてくれている間は、信頼関係がまだある証拠だ、この状態をまず維持しておかねばならないということでした。彼女のしたこと考えたことは、たしかに歪んだことでしたが、作文を読んですぐに問題を指摘するのでなく、その行動の裏にある、彼女の心の内を何とかつかみたいと思いました。赤ペンも、常に他人はどう思っているのだろうかを問い掛けるようにし、彼女の良さが表れている所を強調して書くように心がけました。                         
そうこうしているうちに一学期の終わりに次のような作文を書いてきました。(これは、以前にも紹介したものです。)  

 『わたしは、くやしかった。四年の一学期の終わりごろに国語のテストがあった。そのテストはむずかしかった。テストをかえしてもらうと五十五点だった。こんな点は、はじめてだった。まず、お父さんに見せた。点数を見て、お父さんはおこった。お父さんは、わたしが八十点やそれ以下の点を取ると「あほやな。」と言って、たたくくせがある。そして、いつも「○○っていう子は、百点やろ。」と言う。お母さんも言う。わたしは、くやしかった。   
「百点とちゃいますわ。八十なんぼかじゃ。」と言った。でも、お父さんは「いや、あの子は百点やと思うけどな。」とわたしをばかにしたみたいだった。』      
 
 私は、この作文を読んだ時、彼女の今までの行動が読めたような気がしました。この子は、自分を認めてほしいんだ、だから、作文にショッキングな事を書いて私に訴えているのではないかと思ったのです。            
 勉強、勉強と追い立てられ、常に他人と比較され、努力した時は認めてもらえず、失敗した時はことさら非難されていては、意欲もなくなり、ストレスもたまってこようというものです。                     
 今、子供たちは、A子以上のストレスがたまっているように思えます。学歴偏重の風潮が未だ是正されない中で、夜中まで塾通いし点数が全ての生活を強いられている子供も少なくないと聞きます。そんな子供たちはいつも、誰かに自分のモヤモヤした気持ちをわかってほしいと願っているのです。大人ならば酒でも飲みながら、愚痴の一つも言ってはらせますが、子供たちはそれもできず、時には「荒れ」という形ではらそうとしてきます。           
 「荒れる」子どもたちの心の叫びは、まず「ぼくの話を聞いてくれよ。」ではないでしょうか。カウンセリングの基本は「聞く」ことだといわれます。子供の言葉に耳を傾けうなずくことから指導・支援が始まります。     

 これも以前に紹介しました、「トレーナーというと、すぐにみんなは、技術だけを教えると思う。これは間違いですよ。選手のハートをしっかりつかむ。これが最初で最後ですよ。」
これは、ボクシング界の名トレーナーといわれ、日本人世界チャンピオ ンを6人も育てた故エディ・タウンゼント氏の言葉です。
 氏は、また、試合中早い目のタオルを投げることについて「選手はボクシングをやめてからの人生の方が、現役生活よりも長いんですよ。」と語ったそうです。教育とは何かを考えさせる言葉ではないでしょうか。               

 自分を理解してくれる人、評価してくれる人の言葉は、素直に聞けるものです。子供たちの表の行動だけで判断せず、いつも子供の心の声に耳を傾けるゆとりと、それをつかむ手立てを持っておきたいものです。          

 かって中央教育審議会は「教育は、子供たちの『自分さがしの旅』を扶ける営みである。」とすばらしい表現をしましたが、本当に子どもに寄り添える親でありたいと思うし、教師であって欲しいと思います。

2012. 05. 25  
.子育て キ-ワ-ド 小学校高学年・思春期編無題


  ① 時 機    

「ほめること、叱ることの時機を失した言葉は、気の抜けたビ-ルと同じです。」

  ② 責 任    

「『○○に言うよ』は言うことを聞かなくなる元です。他人の権威を借りる脅しは責任のがれです。」  

  ③ 簡 潔 

  「小言と儀式のあいさつは短い方がよいのです。簡潔に要点を絞って話すことです。」

  ④ 比 較 

    「他人との比較は、劣等感の肥やしになります。」  
  
  ⑤ 反 復

   「漢字のおさらいは必要ですが、いつもとか、前もとか過去の失敗のおさらいはいりません。」  

  ⑥ 接 触 

    「たたく手はいりませんが、撫でる手、抱く手は要ります。」    

  ⑦ 共 感    1.jpg
                                       

 「言葉や行動の裏にある、子ども心がわかる感性を養う努力が必要です。」

  ⑧ 「自律」から「自立」へ

「己を律することができてこそ、自立は可能。己を律することができなければ自立は不可能」


2012. 05. 24  
 先日、ブログで報告していました、「肺気腫」の件です。病院で医者から肺気腫ですねと言われたときは、ショックでした。神経質な私ですので、それからずっと「肺気腫」の言葉が脳裏をかすめて、心から笑えなかった幾日かでした。
 ネットで調べていると「別の病院に行って調べて貰ったらそうではなかったです」といったコメントがありました。そうだ、私も、気に病むよりもっと精密に調べて貰ってから覚悟を決めようと思いました。image.jpg

 今日、大きな総合病院に行って、「肺気腫」の診断を受けたことを告げると、すぐにCT検査をしてくれました。
結果は、なんと嬉しいことにシロでした。肺もきれいですよと言っていただきいっぺんに目の前が明るくなりました。そのお医者さんの言われることには、肺気腫になりやすいのは、喫煙者で、私のようなスリムタイプだそうです。太った方はまた他の病気になりやすいのですが肺気腫には太った方がなる確率が低いらしいです。人間適当な体型を維持することが大切なんだなと思いました。

 主治医の所には最新機器がないのが悩みの種です。どんなときでも夜中であろうが、休み中であろうが、盆正月でも診察してくれる主治医にはいつも感謝していますが、全て任せるのでなく、セカンドオピニオンも必要だと実感しました。

 皆様方には大変ご心配おかけしました。これで安心せず、ハイリスクを抱えているのは間違いないので、毎日のウォーキング、規則正しい生活、バランスのとれた食事に気をつけて頑張ろうと思っています。imageCAOJAQJN.jpg
これからもよろしく願いいたします。






2012. 05. 23  
明日からできる子育て10  幼児。低学年編

①  鏡の前で、にっこり笑顔でスタ-ト 
               無題


 朝から叱られたら1日暗い。
 朝起きたら、鏡でにっこり笑顔を見て、グズグズする姿にいらつくが、ちょっと辛抱。

②  1日30分、子どもを膝の上に

 親の膝の上が一番安心できる場所。暑いと追い払わず抱っこして、子どもの情緒の安定。

③  寝るとき絵本の読み聞かせ

  絵本の読み聞かせは、知性と、感性を育てます。国語のちからが間違いなくつきます。

④  テレビを見ながら感想を 

 見せたいテレビは一緒に感動し、見せたくないテレビは、側でボソボソけなしてみせる。

 ⑤  プレゼントはワンランクアップ

欲しがったらすぐに買い与えず、誕生日まで、クリスマスまでなどに我慢させる。その替わり、子どもが考えていた物のワンランク上の物を買ってやる。辛抱して良かったと思わせる。
  
⑥  今日からの口癖、「あなたはいい子」 

 心理学「ピグマリオン効果」。言い続ければ、本当になる。「あほ」「ばか」と言い続ければ本当に愚かになる。

 ⑦  愚痴やぼやきは子どもが寝てから 
 
 特に、担任への愚痴や、身内の者への愚痴は、子どもの人間観に影響する。

⑧  欠点は長所、長所は欠点

  欠点と長所は紙一重と知るべし。。無題1

⑨  叱る前に深呼吸 

 怒鳴る前に、深呼吸すると脳が冷静さをとりもどし、的確なしかり方を呼ぶ。

⑩  狂育、教育、共育そして協育

子育ては、協力して行うもの。
夫婦、学校、幼稚園、保育園、ご近所、行政みんなで子どもを育てることが大事。


2012. 05. 22  
ばら2
 金環食にわく昨日までの日本。マスコミも大々的に報道していました。そんな新聞の片隅に、餓死した2才の男の腸や胃袋の中身が報道されていました。おむつに、段ボールに、プラスチックなど。記事を目にしたとき、顔も知らない子ですが、どんな思いでそれを口にし飲み込んだのか、それまでに、泣き叫んで訴えたであろうに、頼りとする親に無視され、力尽きていった子どもの心情を思いやると涙が出てきます。以前にも、大阪で2人の姉弟がやはり放置され死んだ事件がありましたが、その時も、姉の弟を思う気持ちと2人の気持ちや苦しみを想像しただけで、心が痛んでたまりませんでした。今でも、ふと思い出すと他人とはいえ胸がふさがれる思いです。

 私の現職の時も、3才の子とその兄1年生の子をほったらかしにしてパチンコに入り浸っている母親がいました。毎朝迎えに行ったり、休んだときには、母親の存在を確認し不在だったら、2人の昼食に給食を持って行ってやったり(今はそんなことはできません)、夏には一緒に下着の洗濯をしたり、予防注射が学校であったときには2人を自転車に乗せて連れてきたりといろいろしました。母親に会うために、何度もしつこいぐらい訪問し子どもの面倒をしっかり見よと要求したものでした。母親は「よたろう先生は大嫌いや」と近所にも言いふらしていたみたいですが、幸い、近所の方はきちんと見ていてくれて逆に母親を叱ってくれていたみたいでした。まだ、まだご近所があった時代だから救えたのかもしれません。孤立する母親の増加は、子どもの虐待の増加に繋がると思うのです。お隣さんと気軽に話ができる環境が欲しいと思います。私のご近所は、幸い皆さんがよく声を掛け合って時に長話もしています。(お互い孤独死しないためにも)

 子育て中のお母さん、どうか一人で悩まず苦しいときには話せる人を持っていてください。色々頼りがいがないかもしれませんが公的機関にも行ってみてください。子どもにとって、親は最後の砦なんです。簡単に最後の砦を放棄して逃亡しないでください。
 金環食、スカイツリー開場の明るいニュースの陰で新しい痛ましい事件が報道されないことを祈るばかりです。


 
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プロフィール

よたろう

Author:よたろう
経歴:
元自動車セールスマン、
元 教師、
元 教育委員会指導主事、
元 校長、
現在:フリーター
子 2人 ,2人とも結婚  
孫 3人
 経歴だけ見たら、すごく真面目で、堅物のようですが、いたって普通のジジです。ボケ防止のためにもブログを開設しました。多くの方々と交流できたらと思っています。
子育て、教育、政治、よもやま話しませんか。

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