2012. 03. 31  
 「教室にユーモアを」。これは、私がもっとも尊敬する、有田和正先生の口癖である。有田先生は教育界で知らぬ人はいない実践家です。現在70才をゆうに超えられているのですが、全国を股に、講演や授業をされておられる超人です。書籍も200冊近く出版され、私もずいぶんお世話になりました。

 さて、明日から4月です。4月、桜吹雪の中で迎える始業式の雰囲気は何とも言えないものがあります。始業式で並んでいる子供たちの顔は、希望に満ち、これから一年間への期待に瞳は輝いています。そんな子供たちを見て、「よし、今年度は。」と意を新たにしない教師はいません。
 教室に入って、一人一人の名前と顔を確認し、一年間の抱負を子供たちと語る時ほど胸踊る時はありません。そして、私は、始業式の日には、いつも「始業式の日のこと」という作文を宿題にしました。
子供たちは、担任発表の時の気持ちだけでなく、家に帰ってから家族に話した時の親の反応などを実に素直に書いてくれました。それを読み、子供たちや親の担任への期待、不満、希望などを知り、1年間の担任としての心構えを作るのです。

 子供たちや親が望む教師像は、「厳しさの中にもやさしさがある先生」が統計的にも圧倒的に多く、特に子供の場合「おもしろい先生」「ユーモアのある先生」を期待していることが多いということです。
 その点、私自身振り返ってみれば、お世辞にもユーモアのセンスがあったとは言えません。どちらかといえばいつもしかめっ面の堅物教師であったようように思います。子ども達がが作った評価項目を見れば、子供たちが担任に抱く教師像が見えてくるのです。 
 よく出てきた評価項目は「ひいきをしないか」「わかりやすい教え方か」「間違えたとき素直にあやまるか」とともに「楽しく、明るいか」「おもしろいか」でした。。先の項目は何とかクリヤーできたのですが、あとの項目は、なかなか「よくできる」をつけてくれませんでした。そればかりか、今は、看護士となって患者さんに笑顔で応対しているS子にいたっては「先生の通信簿」に次のような詩を書いてくれたのです。                           

  「先生の顔」      5年 S子                    

 先生の顔は魔法使いのように見える                    
 先生が笑っている時は                          
 みんなの仕事もはかどる                         
 先生が怒っている時は                          
 みんなの仕事もはかどらない                       
 先生の笑顔                               
 いつもあってほしい    
                       

 そして、コメントとして「これからは、わたしたちもできるだけ先生が笑顔でこれるようにしますから、毎日笑顔で来て下さい。」とありました。よほど、この時は、しかめっ面ばかりしていたのでしょう。                  

 教室で教師がしかめっ面で、いつもガミガミ叱ってばかりいては、子供にストレスがたまり、けんかや果ては「いじめ」も出てこようというものです。いじめっ子、いじめられっ子を生まないためにも教室はいつも笑いが絶えないユーモアアのある学級でありたいものです。その際、誤解してはならないことは、「ユーモアのある学級経営の本質は、面白おかしく授業を行うことではなく、子供たちにゆったりと、心ゆくまで活動させるようにすることである。」(有田和正氏)ということです。  

 ユーモアは心のゆとりが生み出すものです。そして、心のゆとりは、時間のゆとりが確保されねば生まれません。時間のゆとりを作るためには、何をなすべきか。それは、教材の厳選を行うしかありません。全学年を見通し、どのようなねらいで、どんな内容を、どれだけの時間をかけるか綿密かつ大胆な計画をたてる必要があるのではないでしょうか。                       
 なにはともあれ、まず、明日からすぐにできること、即ち、子供の前に立つ時は、笑顔を忘れないようにしてほしいものです。家庭で、職場でどんな嫌なことがあっても教室に行く前に、ちょっと鏡に向かってまず笑顔を作って子供たちの前に立つゆとりを持って欲しいです。




2012. 03. 30  
 春休みになって、お昼の支度やら何かと普段とは違った忙しさが加わったお母さん方も多いことと思います。終業式の日には、通知票で色々と話題になったことだろうと思います。通知票と言えば、子どもが貰うものと思いますが、私は、「先生にも通知票を下さい」と、3年生以上を担任したときは、子ども達一人一人に私の通知票を作ってもらって、毎学期の終業式の日に、通知票の交換をしていました。
 B4用紙一枚の裏表に子ども達は、工夫していろいろな通知票をくれました。中身も自由にしていました。いつも、先生に評価ばかりされている子ども達ですので、先生をを評価することになぜか喜びを持ったのでしょう。いつも楽しい通知票をどの子も作ってくれました。通知票ですから当然 評価が付いています。この評価項目の設定や、所見欄的意見の欄を見ますと子ども達が、私に何を求め、何を不満に思っているのかよく分かりました。
 校長先生や保護者の方の評価も大事ですが。直接関わっている子ども達の思いを受け止めることは大事なことだと思います。本当に様々な視点で、教師を見ています。子どもたちの評価や意見を生かして、次の学期の指導の参考にしたものでした。受け入れるべきは受け入れ、できないことはきちんと説明して次の学期の指導の参考にしたものでした。今は、私の宝物です。
 子どもとの距離を縮め、自分の指導の欠点を知るのには、子どもの評価がとても役に立ちます。私は、若い先生にこの「先生の通知票」を是非やってみて欲しいと思っています。
  先生の通知票表紙
表紙

  評価項目等           先生の自己評価を求めています。↓
なかみ2

中身

  意見欄
意見
2012. 03. 29  
こぶし

 人事異動の季節になりました。新しく赴任したときには、「こんな学校を」「こんなクラスを」と色々抱負を持つて着任するのですが、月日が経つにつれ、はじめの気概も薄れ、いつのまにか「いつものとおり」「例年通り」に流されてしまう自分を情けないと思ったものです。一年にしてこれだから、もっと長い教師生活ということになればなおさらのことです。新任教師、中堅教師、ベテラン教師と経験年数で呼ばれ方が変わりますが、それが、必ずしも教師としての力量向上を表しているとは言えないことを体験的に実感します。

  新任時代、子供たちの前に立った時、どれほど子供たちが大きく見え、驚異的存在に感じたことでしょう。それが、年月が経つにつれ、だんだん子供たちが小さく見えるようになって来たような気がします。このことは、ある面では、経験による余裕が生み出すものであるかもしれませんが、一方では、教師として忘れてはならない、子供の目線で教育する視点が薄れ、子供に対して尊大になってきた表れではないかとも思うのです。

 20歳代では、どれだけ子供たちとともに遊び、泣き、笑っていたことでしょう。それが30歳、40歳と歳を経るほどに子供との接触は少なくなり、子供の心とは程遠いところでひたすら教え込みの授業をし、観念的道徳観を振り回し、思い通りにならなければ、「近ごろの子は・・」と愚痴をこぼすことで、自己満足(責任転嫁)してきたように思うのは私一人でしょうか。   

 よく言われるように「教育」は「共育」であり、子供たち同志で育ち合い、教師もまた子供たちと共に育つという観点を忘れてはならないと思います。この数年、社会は大きく変わってきています。社会の仕組み、政治の枠組みの変化だけでなく、人々の生活様式や価値観もまた大きく変化してきています。その中で生活している保護者、その中で育ってきている子供たちも、以前の子供たちと違ってきていることは当然のことです。そのことを常に念頭において、自己の教育の在り方を改善し追求していくことが求められています。体罰においてもしかりです。体罰が行われる場合、社会(子供)の価値観の変化に対応できず、自己の範疇にないものはすべて「否」とし、問答無用に暴力的に従わせようとするか、もしくは、ただ一時の感情で暴力をふるっているに過ぎないのいずれかではないでしょうか。       

 体罰が教育的効果をもたらさないことは、自分自身の体験からも感じることです。小学校6年生の時受けた先生からの体罰、その原因がなんであったか、体罰によって何を学んだのか今もってわからず、ただその時の教師の名前と顔を忌まわしい存在として40年間以上記憶しているだけなのです。 
 文部省統計によると体罰に関係した教員数はと相変わらず多いのが現状です。「愛のむち」等といった一人よがりの、あるいは自己弁護的教育観の是正が求められているのです。「心の教育」が叫ばれていますが、体罰に限らず、教師の不用意な言葉(言葉の暴力)が「子ども心」を一生傷つけることは以前にも書きましたが「子ども心」をしっかりつかむために工夫することが大切です。教師然として教壇から見下ろしているだけでは「子ども心」はつかめません。

 20歳代は体で勝負し(子供と共にひたすら遊ぶ)、30歳代は頭で勝負し(アイディア)、40歳代は口で勝負し(子どもの心に訴える話術)、50歳を過ぎたら心で勝負(子どもを大らかな心で見る)したいと思うのです。 
 教師の「さしすせそ」即ち(ぼらず、んねんを持って、こやかにいじつにうぞうに)を忘れずにさらなる飛躍をめざして、先生方にはがんばって欲しいと願っています。 
2012. 03. 27  
旅行記が続いております。本来の教育ブログに今日は戻ります。
管理主義教育が、当たり前のように言われてきています昨今です。
そんな中で奮闘している先生方を応援する意味で、10年前に書いた文章を掲載します。


当たり前ということ
 

 喘息に腰痛にと今まで経験したことのない病気になり、つくづく自分の年令を感じてしまいました。まだ成人していない次女のいるおかげか、子育ての現役という現実の中で、気持ちだけは若いのですが、どうも身体の方は着実に老化の方向に向いているようで、もっと歳を考えて行動すること、意識的に健康づくりに心がけることの必要性を改めて感じております。
 走ったり、歩いたりは、今まで当たり前で、特にありがたいと思った事はありませんでしたが、今回のように、歩くことも、這うこともままならない状態になって、はじめて、歩けることのすばらしさ、さらには障害のある人のもどかしい思いを実感しております。「親を亡くして知る親のありがたさ」と言われますが、まさに、「健康を害してはじめて知る健康のありがたさ」であります。

 このように、当たり前と思っていることが、実は大変なことなのだということは、教育の世界にも多々あるように思います。
 子どもは学校に来るのが当たり前の時代には、さほど感じていませんでしたが、昨今のように学校だけが学校ではないとまで言われると、クラス全員の子どもたちが元気にそろうと、先生も元気が出てきます。
 考えてみれば、子どもは学校に来るもの、先生の言うことは聞いてくれるものと当たり前に思っていたことは、実はそうではなく、商売と同様子どもはお客さんで教師は、経営者で、あの手この手での工夫なしでは、お客さん(子ども)を引きつけることはできない時代になっているようです。お客さんがいなくなったら商店はつぶれるのと同様、子どもがいなくなったら(来なくなったら)私達は仕事を失うことになるのです。
 現実に少子化の中で今、私学では熾烈な子ども争奪合戦が展開されています。このことは、公立学校にも、遅かれ早かれそのような時代が訪れると考えられます。学校区の弾力的運用、実績に応じて予算を配分すると言った動きは公立学校にも競争原理が持ち込まれてきています。学校の特色を出すことが要求され世間では、長続きするのかなと思われるアドバルーン的取り組みが華やかに報道されていますが、それが唯一の学校の特色を出す道なのかなと首を傾げたくなることもあります。学校の特色=目立つことと言った錯覚があるように思えてなりません。

 学校は、学ぶところです。単なる遊びの集団を形成するところではなく、学力をしっかり身につけさせること、集団生活の中で個を生かす術を身につけさせること,そして、助け合うことの大切さ、人としての優しさなどを実感させるところに学校の存在意義があると思います。
 そのためには、私達教職員が当たり前と考えてやってきたこと(学習指導、生徒指導)の見直し、改善をやっていかなければならないのです。子どもを教えられる存在から、学ぶ主体に、教師は教える存在から時には、演出者、プロデューサー的存在への転換が求められているのではないかと思います。

 当たり前のことと言えば、今一つ気になることがあります。それは、地域、保護者との対応の問題であります。これから、地域の方々や、保護者の方々の力を借りることが多くなることと思いますが、その際留意すべき事は、私達教師は、給料をもらって仕事をしているわけですが、地域の方々や、保護者・PTA役員の方々は、あくまでボランティアであると言うことを忘れてはならないと思うのです。何かをしてもらったときは、丁重な御礼の言葉や態度が必要になります。親・PTA役員だから当然してくれるのが当たり前と思ったら二度と協力は得られないと思うのです。他人に物を頼む時、頼んだ後の世間の当たり前をきちんとやっていくことも大切なことです。また、学校の備品、消耗品、電気、ガス、水道等についても有って当たり前、使って当たり前という考え方だけでは、税金の無駄遣いになりかねません。また、あれがないからできない、あれがあったらできるといった受け身の考えだけでなく創意工夫でやっていけることはないか考えることも教育のプロとして必要な資質ではないかと思います。最後に、私の好きな詩の一つを紹介しておきます。

   不満の手にどんな大きな恵みをのせられても
   小さく小さく見えるでしょう
   感謝の手にどんな小さな恵みがのせられても
   大きく大きくみえるでしょう
   目ではなくこころがみるのです

     { 河野 進 「母の歌」(白樹社刊)より}
2012. 03. 27  
先週の熊本で、甥っ子が車で、近所の史跡に連れて行ってくれました。その一つが、「小野泉水」公園です。植木町にある史跡です。
小野泉水
「平安時代の女流歌人、小野小町ゆかりの泉水。父の小野良実がこの地に流罪になったときに小町が生まれ、泉水の水を産湯につかったと言う伝説が残っています。岩の隙間や池底から湧出する水は豊富で、池の畔には小町像が安置される小町堂、その横には小町が詠んだ「花の色はうつりにけりないたづらに わが身よにふるながめせしまに」の歌碑が建立されています。」(植木町案内文転記

小野小町堂        小町歌碑


   めがね橋         小町公園

 小野小町と言えば日本の世界三大美女の一人と言われています。平安時代の美女の条件は「おたふく顔」が定説です。「源氏物語絵巻」の女性達もそうです。美人と言うよりも可愛いといった感じです。年齢相応の良さはありますが、若い女性はみんな可愛いものです。うちのかみさんも、小町ほどではないにしても、私の小町でした。あれから40数年(綾小路きみまろ調)いつの間にか「山の神」へと変身。「しばしの別れで涙した小町も、今は亭主元気で留守がいい」老後の世話をお願いする立場になりそうなので、大事にしなければならないと思う昨今です。時折料理もして、昔の小町の笑顔を引き出そうとしています。昨日も、土筆の卵あえ、タケノコのピーナッツあえ、菜の花のごまあえの春の三種和えでご機嫌伺い。
和え物


2012. 03. 26  

一、 雨は降る降る
    じんばは濡れる
      越すに越されぬ 田原坂

二、 右手に血刀
      左手に手綱
     馬上ゆたかな 美少年

三、山にしかばね
   川に血流る
        肥薩の天地 秋さびし
                
              田原坂絵
かみさんの実家から、下ること30分、明治時代の最後の内戦、西南戦争の激戦地 田原坂にぶらりと行ってきました。西郷隆盛率いる薩摩軍と熊本城籠城軍救出官軍との最大の激戦地です。近くには乃木将軍が軍旗を奪われた戦場の跡もあります。両軍合わせて15000人以上の死傷者を出した戦いでした。「田原坂」と言えばよく鹿児島県にあると思われている方がいますが熊本県でスイカで有名な植木町です。

一の坂 1の坂
両端が雑木林や竹林に囲まれた坂道が曲がりくねってあります。この道しか熊本城に通ずる道がなかったためここの攻防が勝敗を左右したのです。かなりの勾配があり、一の坂、二の坂、三の坂と頂上までの道のりは結構しんどいもので、両端の藪に隠れた薩摩軍は通り抜けようとした官軍を攻めたため17昼夜の及ぶ戦が繰り広げられました。頂上に着くと当時を知る大楠の木のもとに、15才の若さで散った薩摩軍の美少年の像があります。

                 田原坂美少年像
もう少し進むと、資料館があり、その側にはこの戦いの時の弾痕が無数にあった土蔵が復元されています。かみさんが小さいときは、本物があってその主人が10円でとても面白い解説をしてくれていたようです。
                              資料館内にある熊本県マスコット くまもん官軍薩摩郡服 くまもん


弾痕の倉庫1

約4時間ばかりの一人散策でした。足にまめが出来ルぐらい久しぶりにたくさん歩きました。夜更かしの朝寝坊の私ですが、さすがにその日は、早々と床につきました。
2012. 03. 25  
 今年は本当にいつまでも寒いです。“暑さ寒さも彼岸まで”とお彼岸を待ち望んでいましたけど、彼岸の中日をすぎてもなお寒い。喘息持ちにはハラハラドキドキの気候です。そんな中でも草花たちは、きちんと春をとらえて花を咲かせたり芽を出してきます。かみさんの里、熊本での花たちをご紹介します。庭に咲くしだれ桜白木蓮。どちらも100年は咲いているのではないかと推測しています。しだれが終わって後ろの巨木、木蓮が咲きます。

しだれ 白木蓮4

  あせびの花普通は白が多いです。そして、山椿の側に咲く侘助肥後椿あせび1 侘助 肥後椿1

義母が植えていたクリスマスローズが今年咲きました。畑の土手には土筆がのび、竹林にはタケノコが伸びてきていました。採ってすぐのタケノコは甘かったです。2ヶ月に1度は、かみさんは実家に行きます。プラム収穫期などには農作業の手伝いも腰痛持ちには出来ないので料理長をしに行くこともあります。小さいときからの寂しがり屋なので一人で寝るのが嫌なのと、持病の不安があるのでこの頃は、一人になるときは孫の所か、かみさんについて行っています。

クリスマスローズ生野 タケノコ つくし











2012. 03. 24  
土佐の英雄は坂本龍馬ですが、長州下関の英雄は龍馬より高杉晋作でしょう。尊皇攘夷の嵐の中で、初めて世界との差に目を開かせる下関戦争(馬関戦争)が平家滅亡の地と同様の「壇ノ浦」で行われました。2度の戦でイギリス、アメリカ、フランス、、オランダに砲台が占拠されます。。それが私の実家のあった前田です。今、義経像と並んで当時の砲門のレプリカが展示してあります。実際は、敵の船まで届かなかったとも言われています。ここから長州藩の近代兵器の拡張が始まるわけです。
      占拠された前田砲台                      長州藩砲門レプリカ
        前田砲台 大砲
  
白石邸跡白石邸    高杉晋作像               高杉晋作像

下関西口から5分ぐらいの所に、廻船問屋豪商 白石正一郎の屋敷跡の碑があります。高杉が奇兵隊を設立したところでもあり、多くの志士達がここに集ったと言われています。
下関東口から15分くらい歩くと日和山公園というかっては下関港が一望できた高台があります。そこには、高杉晋作の陶像があります。
 さらに、バスで10分ぐらい行きますと、赤間神宮の隣に日清戦争講和条約の舞台、春帆楼があります。さらに15分バスで行きますと、旧長府藩の町並みが残る侍町が散策できます。そして、高杉晋作が本格的に奇兵隊を挙兵した功山寺があります。その裏山の頂上に立つのが我が母校長府中学校です。1500人規模でした。小学校はもう少し北の町中で3000人規模でした。

  功山寺 高杉馬上像
    功山寺                        高杉晋作馬上像
高杉晋作は、28の若さで病に倒れ、今は下関の郊外とも言うべき吉田と言うところの東行庵に眠っています。彼がもう少し生きていたら歴史も変わっていたかもしれないと思うのです。
下関は神代の昔から栄えたところで名所旧跡の多いところです。興味のおありの方は是非お訪ね下さい。
2012. 03. 23  
 今、帰ってきました。実家は、70才の義兄一人暮らしのため、インターネットがなく、2日間だけ山から下りて義妹のところで更新しましたが、往復がしんどくて、また気も遣って3日間更新できませんでした。帰ってみるとやっぱり我が家が一番です。義母はすこぶる元気で、1日だけ家に連れて帰り、二人でお墓参りに行ってきました。お墓の近くには肥後椿が満開でした。しばらく、下関と熊本の歴史散歩についてUPします。更新していない間も訪問いただいた皆様に感謝しております。また、皆様のご様子をお伺いできるのが楽しみです。
肥後椿
2012. 03. 21  
インターネットにつながっていません携帯からです。金曜日まで更新が出来そうにありませんがよろしくお願いします。
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プロフィール

よたろう

Author:よたろう
経歴:
元自動車セールスマン、
元 教師、
元 教育委員会指導主事、
元 校長、
現在:フリーター
子 2人 ,2人とも結婚  
孫 3人
 経歴だけ見たら、すごく真面目で、堅物のようですが、いたって普通のジジです。ボケ防止のためにもブログを開設しました。多くの方々と交流できたらと思っています。
子育て、教育、政治、よもやま話しませんか。

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